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広瀬川研究レポート

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伊達政宗と広瀬川

掲載日:2005年08月31日

 伊達政宗公が仙台 開府かいふ という新しい国づくりを始めようとした時、その首府となるべき街と城を築く場所に、仙台の地を選びました。 奥羽おうう 山系さんけい から大きくはりでた 丘陵きゅうりょう の先端にある青葉山と、その眼前に横たわる広瀬川。さらには、宮城野原、仙台平野越しに のぞ む太平洋。このような地域が仙台でした。

 仙台に城と城下町を決めるとき、政宗公はこれからめざす世界が永遠の生命いのちを持てるように、平和な時代を実現させた前例の、古代中国のかんとうを手本にしました。このふたつの国の首都は長安ちょうあん(現在は西安)ですが、最初に長安をつくった漢の文帝ぶんていは、黄河の支流に河上公かじょうこうという仙人に国を治めるための教えを受け、都が完成すると西の一角に仙人たちが集う"仙遊館せんゆうかん・仙台"を設けて、永遠えいえんの繁栄を見守ってもらったとつたえています。この伝説をもとに唐の詩人が"仙台初めてみる五城楼ごじょうろう"とみ、これを知った政宗公は、同様な願いをこめて、それまでの地名の"千代せんだい"を、今も用いる"仙台"に代えたといわれます。

文久絵図にみる広瀬川と大橋・齋藤報恩会蔵文久絵図にみる広瀬川と瑞鳳殿・斎藤報恩会蔵
文久絵図にみる広瀬川と大橋(左図)広瀬川と瑞鳳殿(右図)/斎藤報恩会蔵

 仙人が棲んだ河と長安ちょうあんの西に位置する中国の仙台。豊かな流れの広瀬川と西部に城をかまえたみちのくの首都・仙台。このふたつの都が持つ共通性は、仙人に守られたかのように、地域と人が安らかで楽しい世界を常に確保かくほすることだったのです。当時、広瀬川は仙台川(又は大川おおかわ)、大橋は仙台橋と呼ばれますが、城と城下町をむすぶこの橋を架けた際、政宗公は"仙人橋下、河水かすい千年、民安んじ国やすんず、尭天ぎょうてんといづれか"と記した擬宝珠ぎぼしゅを橋の欄干らんかんに掲げました。ここには、漢・唐と同様に理想国家とされてきたぎょうの時代に、わが仙台も肩を並べようという強い決意が、永遠を象徴しょうちょうする広瀬川に託して明言されています。この聖なる流れが城下に入りこむ最初の場所に、仙台を鎮守ちんじゅする大崎八幡宮はちまんぐうが創建されたことも、かけがえのない清流を神とともに守ろうとする意図いとをはっきりと伝えてくれます。

 

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